龍泉寺 コメントを残す 温泉が好きな方が、龍泉寺と聞きくとスーパー銭湯を連想すると思いますが、ここは曹洞宗のお寺です。本堂は500年以上前に作られたもので、今でも残っています。本堂の前室は、かつては歌舞伎などの舞台になっており、本堂の右手が控え室になっていたそうです。昭和13年に緑区の鮑子の畑の中から発見されました観音さまを祀っています。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
井原寺 コメントを残す 戦国時代に戦火を逃れた武将が念持仏を持って、この地に来たことがきっかけでお寺ができました。観音さまは外にもいらっしゃいます。本堂には、東日本大震災で被災を受けた大川小学校の写真がありました。青野原の場所で、石巻の話ができるとは思いませんでした。 昔の観音霊場の地図も飾られています。場所が変遷しているところもあります。 また、井原寺特製のお菓子(100円)を購入しました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
東陽寺 コメントを残す 1356年にできたと言われるお寺です。川に挟まれた場所にあり、宮ヶ瀬ダム建設前は水が多く流れていたそうです。ここ鳥屋地区には、リニア中央新幹線の車両基地ができる予定ですが、東林寺はギリギリ入らないそうです。参拝時には、客殿の基礎工事の途中で、市の浄化槽についての話になりました。使用頻度ではなく、面積により大きさが決まるという話を聞きました。あまり使われないと浄化槽のバクテリアが死んでしまうそうです。帰りがけに、ご住職に二度目もしませんかと言われましたが、また、来ます言って、次の札所に向かいました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
清真寺 コメントを残す 1265年に開山したお寺です。このお寺のお坊さんが近くの諏訪神社を建立しました。300年以上前に清真寺10世の円海法印が獅子頭、歌、踊りを作りました。この獅子舞は今でも諏訪神社で行われ、県の無形文化財に指定されています。今の寺は拝島にあるお寺の住職が兼務されています。思いのほか観音霊場巡りが好評で、朱印が足りなくなったので、拝島から朱印を送ってもらったという話を檀家さんから聞き、特別に小包も見せてもらいました。観音さまは木喰上人が作ったと伝えられているそうです。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
光明寺 コメントを残す 鎌倉時代の初期にできたお寺で、元々は宝積寺という名でした。戦国時代、北条氏と武田氏の三増合戦の際、焼かれてしました。その後、津久井領主が何があっても残るように坊舎を村々に配置し、光明寺と改称しました。お堂には、天井付近の台に一体の観音さまがいらっしゃいます。33観音あったそうですが、地震などの被害を避けるため、別の場所にいらっしゃいます。左手には、駕籠がありますが、本山の建長寺に行くときに、お坊さんが乗っていったそうです。 石垣がお城のようです。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
雲居寺 コメントを残す 雲居寺と書いて「うんごうじ」と読みます。700年前に開山され、建長寺派の十刹に数えられる由緒あるお寺です。4月24日にはお施餓鬼があり、境内で屋台がでます。昔は農耕馬のレースが行ったそうです。江戸時代に、このお寺の大雲和尚が津久井観音霊場を開きました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
来迎寺 コメントを残す 津久井観音33カ所霊場のトリのお寺でした。明治時代に火事になり、今の本堂は民家を移築したものです。元民家だけあって、居心地がよいお寺でした。檀家さんと御詠歌の話になって、解釈をしていただきました。「よろずよの おいせぬちかい ながたけに おみえあらたに おがむらいこう」 おみえあらたにのおみえはお御影を指すので、二重に「お」がつくことになるということを指摘されていました。今は地名である長竹(ながたけ)から長竹山来迎寺(ちょいちちくさん)となっていますが、当時は長生山だったそうです。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
春日堂 コメントを残す 前回までは個人宅でご開帳が行われましたが、今回は神社の境内の社務所で行われています。明治維新までは神社とお寺は同じ人が管理していたことが多くありました。例えば、神主さんがお寺を、お坊さんが神社を管理するようなことです。当時の用語で別当と言います。しかし、明治政府の神仏分離令で、神仏混淆(こんこう)は廃止され、神社と寺院が別の今の方になりました。そのとき、春日神社の観音さまを個人の方が引き取ったそうです。江戸時代では、神社の境内でご開帳を行ったそうです。約150年の時を経て、また昔の形に戻りました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
安養寺 コメントを残す このお寺には住職がおらず、第14番の顕鏡寺のお坊さんが兼務しています。千手観音で、仏壇ギリギリに納められているので、下からのぞくように見ないと、お顔が拝めませんで。本堂は前室が畳敷きで、居心地がよく、お茶を二杯いただきました。イノシシに乗った仏像について巡礼に来た方が檀家さんに尋ねたところ、「よくわかりません。」と答えたそうです。そのことについて、私に聞いてきましたが、私もわかりませんでした。調べたところ、どうやら戦いの神様の摩利支天ではないかと思います。 慰霊塔が敷地内にあったので、この地域の中心的な寺院だったと思います。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
宗安寺 コメントを残す このお寺は明治維新までは中野神社の別当(管理者が同じ)でした。今回初めての霊場参加で、観音さまではなく、ご本尊のお釈迦さまになっています。 このお寺には住職がいらっしゃいらず、横浜の綱島の久光院の和尚さんが来るそうです。第35番の実相院と兼務しています。綱島はかつて花柳界があったというお話を津久井で聞くとは思いませんでした。帰りがけに、次の霊場安養寺の近道を教えてもらいました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...