月別アーカイブ: 2014年5月

トウモロコシの芽が出ました

子葉(1番最初に出る葉)の種類によって、植物の種類が分かれます。一枚のものは単子葉といい、イネ科やユリ科などの植物があります。2枚のものは双子葉といい、ウリ科、ナス科などがあります。三つ子の魂百までと言いますが、この子葉の違いで、葉の形、茎の作り、根の形が変わってきます。さて、トウモロコシは何かでしょうか?

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長昌寺

明治の始めまで、今とは別の平丸というところにありました。明治15年旅人の焚き火の大火が原因で、消失してしまいました。青根地区には、ほかに泉福寺、長蔵院があり、住職がいなかった泉福寺を合併して、今の場所に移りました。
観音堂は平成21年に新築されたので、木々の香りが漂っていました。
ちなみに、私の先祖は平丸の出で、津久井観音霊場の最後の札所になったのは、なにかのご縁かもしれません。

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増珠寺

江戸時代の寛政7年(1795年)に今のところに移りました。元々は、今より北の山深いところにありました。江戸時代はこの地区は関野宿と呼ばれ、甲州街道の宿場町でした。1783年に浅間山が噴火し、中山道が使いづらくなり、甲州街道が栄えたそうです。年号からそんなことを考えてしまいました。

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浄禅寺

石楯尾神社の御祭神の岩村石楯が藤原恵美押勝の討伐を祈願して、見事その願いが叶いました。岩村石楯が756年にお礼として阿弥陀山尊を安置する阿弥陀堂を建立したことから始まります。
1373年に阿弥陀堂を修復し、浄禅寺を建立した際、足利義満から香灯料と除地を頂戴しました。また、足利義満の位牌もあります。観音さまはパンフレットに載っているもので、市の無形文化財に指定されています。胎内に小観音がいらっしゃいますが、公開はされません。本堂の写真で胎内の観音さまを見られます。

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戦時中は、川崎の中原小学校の疎開先にもなり、感謝状が本堂に飾られています。

慈眼寺

すぐ下を中央高速が走るお寺です。かつては隣の与瀬神社と神仏混淆でありましたが、明治時代の神仏分離令により、分かれました。与瀬神社は権現様と呼ばれていましたが、蔵王権現を勧請したことによります。

虫加持が今でも行われています。虫加持は赤ちゃんの疳(かん)の虫<夜泣きなど>を抑える加持だそうです。

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赤いところが、高速道路の横断歩道です。

善勝寺

このお寺は空海(弘法大師)が毘沙門天の尊像を彫り、祀られたことから始まりました。本堂は少し上にありましたが、度重なる土砂災害で、今のところに移りました。
本堂には江戸時代に作られた彫りものがあります。

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大通寺

普段は児童公園として利用されています。

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住職はおらず、高尾の春泉寺が兼務しているそうです。
御詠歌が「だいつうの ほとけのまえで ちぎらずば しゃかのみのるを いかでしるべき」とあります。ここの「ちぎらずば」のちぎらはこの地名の千木良(ちぎら)に掛けているそうです。

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