津久井観音霊場」カテゴリーアーカイブ

友林寺

このお寺は今は津久井湖の湖底なっている不津倉というところにありました。津久井湖建設により、昭和39年4月に新しいところに移転しました。
移転する前は薬師如来のお堂があったので、医王山友林寺と言います。

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本堂にはかつての不津倉地区の地図が飾られています。檀家さんが書いたものですが、法事の際、この地図を見ながら、昔話に花が咲くそうです。不津倉は同じ名字の方が多かったので、屋号(ソウメンヤなど)で呼ばれていました。20140513-190835.jpg

 

大蔵寺

かつてこの地域は太井村と呼ばれ、村には寿性院と泉蔵寺がありました。今ある大蔵寺は泉蔵寺という名でしたが、太井村の一部が津久井湖建設で移住して、昭和40年(1965年)に両寺が合併して大蔵寺になりました。

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本堂は天保13年(1842年)から弘化3年(1846年)にかけて改修されました。
本堂の天井には手間が花鳥図、奥が龍と天女が描かれいます。板戸は獅子、牡丹、梅などが描かれています。華やかではありますが、その中に静寂さを感じました。帰りがけに大蔵寺印のお菓子をいただきました。

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宝泉寺

1148年に開山したこのお寺にはかつて小松城がありました。小松城は北条氏の支城の片倉城の出城でした。豊田秀吉による小田原攻めで落城し、お寺も焼かれたそうです。

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観音様は二体いらっしゃいます。ふくよかな観音様と顔立ちがキリッとした観音様でした。お寺を守っているかのように猫が数匹いました。

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久保沢観音堂

坂東33カ所霊場と西国33カ所霊場の全ての観音さまを模写した観音さまがあります。元々は、桂昌寺というお寺にありましたが、なくなったので、今の場所に移りました。久保沢はかつて久保沢宿として栄え、定期市も開催されていました。江戸時代には、打ちこわしの対象になるほどの商家もありました。観音堂は温泉坂にあります。名前は近くの旅籠が熱海のお湯を持ってきていたことに由来します。

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三井寺

津久井湖建設のときに建て替えが行われた寺院で、案内には現代的感覚建築と記されています。一見するとお寺には見えません。本堂から窓ガラス越しに津久井湖が見渡せます。

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以前使われていた飾りがお福分けとして持ち帰りできます。仏壇などに飾るそうです。飾りは地元の方々が作りました。

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実相院

住み込みの住職さんはおられず、地元の方が管理されるお寺です。
地元の方が寄付された仏像などがたくさんあります。檀家さんとお寺の読み方が音読みであることの話をしました。
例えば、三井(みい)という地区のお寺は三井寺(さんせいじ)と読みます。仏教が中国から伝わってきたことがよくわかります。

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祥泉寺

室町時代に建立された歴史のあるお寺です。5色のひもは各霊場にありますが、観音さままで続いています。観音さまの光を現しているそうです。ひもは組みひもが盛んだったこの地域のものを使っているそうです。

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根本観音堂

根本自治会館に観音さまがいらっしゃいました。日応寺の所有でしたが、廃寺になり、地元の方々で管理されるようになりました。今回のご開帳で、観音さまを改修しました。
ここでも、地元の方々が作った飾りがあります。「きりはれて じょうたくざんの かぜおん せかいのへいわ ねがいたまわん」という御詠歌も地元の方々が作りました。

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