石楯尾神社の御祭神の岩村石楯が藤原恵美押勝の討伐を祈願して、見事その願いが叶いました。岩村石楯が756年にお礼として阿弥陀山尊を安置する阿弥陀堂を建立したことから始まります。
1373年に阿弥陀堂を修復し、浄禅寺を建立した際、足利義満から香灯料と除地を頂戴しました。また、足利義満の位牌もあります。観音さまはパンフレットに載っているもので、市の無形文化財に指定されています。胎内に小観音がいらっしゃいますが、公開はされません。本堂の写真で胎内の観音さまを見られます。
投稿者「tsukuiku」のアーカイブ
コメントを残す
福王寺
藤野観音堂
慈眼寺
善勝寺
大通寺
宝福寺
正覚寺
宝珠庵
顕鏡寺
今は昔、京にお姫様がいました。お姫様はある男と恋に落ちましたが、ある男は身分の低いもので、大臣である父から別れるように言われました。しかし、別れることができずに、二人の新天地を求め、東へ下りました。そして、岩窟があるこの地に着ました。そこで、岩若丸という男の子が生まれました。岩若丸はスクスクと成長しました。ある日、岩若丸は落石に遭い、幼くして命を失いました。父親はその姿をみて、悲しみにくれ、数日念仏を唱えました。すると、岩若丸が生きかえりました。ところが、岩若丸の母の姿が見えません。失意のあまり飛び出て行ったのでしょうか。
父親は、かつて姫様であった妻を探す旅にでで、岩若丸を知人に預けました。そのとき、父親は鏡を二つに分け、半分を岩若丸に渡しました。岩若丸は成長し、父を探す旅に出ました。あるところに、目の見えない老人が鏡を持ちながら念仏を唱えていました。岩若丸が持っていた鏡と合わせるとピッタリ合いました。その老人は父だったのです。しかし、父はすでに病にむしばまれ、すぐになくなってしました。岩若丸は母のふるさとである京に上り、母のことを伝えたところ、みな驚いたそうです。岩若丸はその後、今の顕鏡寺の和尚さんになりましたとさ。
お寺の名前の由来はこの岩若丸の話からきています。本堂には龍の彫刻がありますが、地元の中学校の美術の先生が塗ったそうです。