投稿者「tsukuiku」のアーカイブ

浄禅寺

石楯尾神社の御祭神の岩村石楯が藤原恵美押勝の討伐を祈願して、見事その願いが叶いました。岩村石楯が756年にお礼として阿弥陀山尊を安置する阿弥陀堂を建立したことから始まります。
1373年に阿弥陀堂を修復し、浄禅寺を建立した際、足利義満から香灯料と除地を頂戴しました。また、足利義満の位牌もあります。観音さまはパンフレットに載っているもので、市の無形文化財に指定されています。胎内に小観音がいらっしゃいますが、公開はされません。本堂の写真で胎内の観音さまを見られます。

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戦時中は、川崎の中原小学校の疎開先にもなり、感謝状が本堂に飾られています。

慈眼寺

すぐ下を中央高速が走るお寺です。かつては隣の与瀬神社と神仏混淆でありましたが、明治時代の神仏分離令により、分かれました。与瀬神社は権現様と呼ばれていましたが、蔵王権現を勧請したことによります。

虫加持が今でも行われています。虫加持は赤ちゃんの疳(かん)の虫<夜泣きなど>を抑える加持だそうです。

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赤いところが、高速道路の横断歩道です。

善勝寺

このお寺は空海(弘法大師)が毘沙門天の尊像を彫り、祀られたことから始まりました。本堂は少し上にありましたが、度重なる土砂災害で、今のところに移りました。
本堂には江戸時代に作られた彫りものがあります。

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大通寺

普段は児童公園として利用されています。

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住職はおらず、高尾の春泉寺が兼務しているそうです。
御詠歌が「だいつうの ほとけのまえで ちぎらずば しゃかのみのるを いかでしるべき」とあります。ここの「ちぎらずば」のちぎらはこの地名の千木良(ちぎら)に掛けているそうです。

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宝福寺

1451年に創設されたお寺です。お堂は八代将軍吉宗の江戸時代に作られました。太平洋戦争中は学童疎開の受け入れ場所になり、横浜の二谷小の児童が来たそうです。その際、柱にいたずら書きをされたというお話を聞きました。長尾山宝福寺と言いますが、長尾と書いて「なごぉ」と読むそうです。長尾山は相模川を挟んだ向かい側にあります。

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それから、お願いを書くように勧められたので、「世界平和」と書いておきました。

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現在の二谷小(横浜市東白楽)

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正覚寺

平安時代後期に作られたお寺で、今とは違う場所にあったそうですが、三増合戦の際、武田軍に焼かれ、今の場所に移りました。境内には俳句の句碑がたくさんあります。
民俗学者の柳田國男も本堂に宿泊し、句を残しています。「山寺や 葱(ねぎ)と南瓜(かぼちゃ)の 10日間」
毎日、同じものがでたようですね。

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本堂には、吊し雛がありました。1年前から本開帳のために作成したそうです。今回で、初めての吊し雛だそうです。

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宝珠庵

かつて、宝珠庵は沼本というところにありました。しかし、明治初年の水難で、堂宇を失いました。再建の努力も虚しく、昭和3年に正覚寺に合併しました。観音さまは沼本にありましたが、昭和41年ダム建設のため、水没し、現在は正覚寺にいらっしゃいます。前回は上のお堂にありましたが、今回から本堂で拝むことができます。

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前回まで観音さまがいらしたお堂です。

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顕鏡寺

今は昔、京にお姫様がいました。お姫様はある男と恋に落ちましたが、ある男は身分の低いもので、大臣である父から別れるように言われました。しかし、別れることができずに、二人の新天地を求め、東へ下りました。そして、岩窟があるこの地に着ました。そこで、岩若丸という男の子が生まれました。岩若丸はスクスクと成長しました。ある日、岩若丸は落石に遭い、幼くして命を失いました。父親はその姿をみて、悲しみにくれ、数日念仏を唱えました。すると、岩若丸が生きかえりました。ところが、岩若丸の母の姿が見えません。失意のあまり飛び出て行ったのでしょうか。
父親は、かつて姫様であった妻を探す旅にでで、岩若丸を知人に預けました。そのとき、父親は鏡を二つに分け、半分を岩若丸に渡しました。岩若丸は成長し、父を探す旅に出ました。あるところに、目の見えない老人が鏡を持ちながら念仏を唱えていました。岩若丸が持っていた鏡と合わせるとピッタリ合いました。その老人は父だったのです。しかし、父はすでに病にむしばまれ、すぐになくなってしました。岩若丸は母のふるさとである京に上り、母のことを伝えたところ、みな驚いたそうです。岩若丸はその後、今の顕鏡寺の和尚さんになりましたとさ。

お寺の名前の由来はこの岩若丸の話からきています。本堂には龍の彫刻がありますが、地元の中学校の美術の先生が塗ったそうです。

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