増珠寺

江戸時代の寛政7年(1795年)に今のところに移りました。元々は、今より北の山深いところにありました。江戸時代はこの地区は関野宿と呼ばれ、甲州街道の宿場町でした。1783年に浅間山が噴火し、中山道が使いづらくなり、甲州街道が栄えたそうです。年号からそんなことを考えてしまいました。

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