宗安寺 コメントを残す このお寺は明治維新までは中野神社の別当(管理者が同じ)でした。今回初めての霊場参加で、観音さまではなく、ご本尊のお釈迦さまになっています。 このお寺には住職がいらっしゃいらず、横浜の綱島の久光院の和尚さんが来るそうです。第35番の実相院と兼務しています。綱島はかつて花柳界があったというお話を津久井で聞くとは思いませんでした。帰りがけに、次の霊場安養寺の近道を教えてもらいました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
長成寺 コメントを残す このお寺では、如意輪観世音菩薩像に子観音があります。子観音は、観世音菩薩像の胎内にいらっしゃいますが、12年に一度の本開帳のときだけ、拝むことができます。子観音が胎内にあることで子宝観音と呼ばれています。また、観音さまに繋がるひもを持ち帰り、子宝に恵まれるという言い伝えもあります。男の子は水色、女の子は赤がいいそうです。 他のお寺の檀家さんが拝観にいらっしゃいっていましたが、うちのお寺に行ってみてくださいと勧められました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
観音寺 コメントを残す 1489年に第1番霊場の雲居寺の末寺として開創されました。観音さまは階段を登った先のお堂にいらっしゃいます。 お堂からの景色は絶景です。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
友林寺 コメントを残す このお寺は今は津久井湖の湖底なっている不津倉というところにありました。津久井湖建設により、昭和39年4月に新しいところに移転しました。 移転する前は薬師如来のお堂があったので、医王山友林寺と言います。 本堂にはかつての不津倉地区の地図が飾られています。檀家さんが書いたものですが、法事の際、この地図を見ながら、昔話に花が咲くそうです。不津倉は同じ名字の方が多かったので、屋号(ソウメンヤなど)で呼ばれていました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
大蔵寺 コメントを残す かつてこの地域は太井村と呼ばれ、村には寿性院と泉蔵寺がありました。今ある大蔵寺は泉蔵寺という名でしたが、太井村の一部が津久井湖建設で移住して、昭和40年(1965年)に両寺が合併して大蔵寺になりました。 本堂は天保13年(1842年)から弘化3年(1846年)にかけて改修されました。 本堂の天井には手間が花鳥図、奥が龍と天女が描かれいます。板戸は獅子、牡丹、梅などが描かれています。華やかではありますが、その中に静寂さを感じました。帰りがけに大蔵寺印のお菓子をいただきました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...
宝泉寺 コメントを残す 1148年に開山したこのお寺にはかつて小松城がありました。小松城は北条氏の支城の片倉城の出城でした。豊田秀吉による小田原攻めで落城し、お寺も焼かれたそうです。 観音様は二体いらっしゃいます。ふくよかな観音様と顔立ちがキリッとした観音様でした。お寺を守っているかのように猫が数匹いました。 共有:共有TwitterFacebookメールアドレスGoogle印刷いいね:いいね 読み込み中...