日別アーカイブ: 2014年5月15日

顕鏡寺

今は昔、京にお姫様がいました。お姫様はある男と恋に落ちましたが、ある男は身分の低いもので、大臣である父から別れるように言われました。しかし、別れることができずに、二人の新天地を求め、東へ下りました。そして、岩窟があるこの地に着ました。そこで、岩若丸という男の子が生まれました。岩若丸はスクスクと成長しました。ある日、岩若丸は落石に遭い、幼くして命を失いました。父親はその姿をみて、悲しみにくれ、数日念仏を唱えました。すると、岩若丸が生きかえりました。ところが、岩若丸の母の姿が見えません。失意のあまり飛び出て行ったのでしょうか。
父親は、かつて姫様であった妻を探す旅にでで、岩若丸を知人に預けました。そのとき、父親は鏡を二つに分け、半分を岩若丸に渡しました。岩若丸は成長し、父を探す旅に出ました。あるところに、目の見えない老人が鏡を持ちながら念仏を唱えていました。岩若丸が持っていた鏡と合わせるとピッタリ合いました。その老人は父だったのです。しかし、父はすでに病にむしばまれ、すぐになくなってしました。岩若丸は母のふるさとである京に上り、母のことを伝えたところ、みな驚いたそうです。岩若丸はその後、今の顕鏡寺の和尚さんになりましたとさ。

お寺の名前の由来はこの岩若丸の話からきています。本堂には龍の彫刻がありますが、地元の中学校の美術の先生が塗ったそうです。

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長福寺

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相模湖とプレジャーフォレストがある嵐山を見渡せるところにあるお寺です。観音さまの前で唱える御詠歌をやっている方がいらっしゃいましたので、お話を伺いました。津久井観音霊場は7回も回られた方もいらっしゃいました。
御詠歌の講があり、今回も観音霊場の巡礼に参加するそうです。
御詠歌を歌ってもらました。

観福寺

このお寺は高野山真言宗です。来年が高野山開山1200年目になること、春は下と一ヶ月ぐらい季節が遅いこと、高野山では山菜がたくさん採れることなどお話を聞きました。本堂には、般若心経で書かれた絵仏がありました。檀家さんが書かれたもので、一つ作るのに3ヶ月ほどかかるそうです。文字があまりにも小さいので、ルーペが置いてあります。作品の見事さに感服しました。
かつては、学校として使われていた時代もあったそうです。旧甲州街道が近くを通っています。江戸時代は多くの旅人たちが道中の安全の願って、このお寺を訪れたのでしょう。

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