光明寺

鎌倉時代の初期にできたお寺で、元々は宝積寺という名でした。戦国時代、北条氏と武田氏の三増合戦の際、焼かれてしました。その後、津久井領主が何があっても残るように坊舎を村々に配置し、光明寺と改称しました。お堂には、天井付近の台に一体の観音さまがいらっしゃいます。33観音あったそうですが、地震などの被害を避けるため、別の場所にいらっしゃいます。左手には、駕籠がありますが、本山の建長寺に行くときに、お坊さんが乗っていったそうです。

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石垣がお城のようです。

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